雑記

2024

ゆの

フルリモートでほっそりとWEBデザイナー/コーダーをしています。 趣味は将棋とHR/HMギター。 1992年2月4日生。

1月

2024年1月15日 離婚

約5年近くの結婚生活が終わった。

自分でも「もうこの関係を維持できるかどうか」の判断すら麻痺しており、精神的にも金銭的にも限界だった。

寒くて暗くて独り。

無駄に広い1LDKの家がホコリをかぶっていく様と共に生きる力も荒んでいく一方だ。

ぬいぐるみの「みゅーちゃん」の写真を眺めては泣いた。

…やがて仕事も完全にできない状態になる。

頭では、「ほら、行くんだよ甘えてんじゃねぇよ!」と意識に訴える。

心は、「勘弁してくれ、行きたくない...。とにかく家で休みたい。」と思う。

体は「良い加減にしろ!!!行きたくないって言っているだろ!!」と心を庇うかのように、嘔吐・めまい・頭痛・胃痛・太ももの裏に大量の発疹などあらゆる角度からサインを出している。

「普通に生活する」というサイクルはとっくに回らず破綻していた。

トイレやお風呂に入ることも重労働で、典型的な鬱である。

例えるならば、パンクした自転車で坂道をのぼるようなものだ。

2月

兼ねてより2023年11月から相談していた、大阪市某区の生活アシスト課の担当の方に休養することを強く指導される。

「一回、裸になったらええやん!」

その言葉で、これまでの理想家でプライドが強い私の心はとても惨めな気持ちに苛まれた。
しかし振り返ると、この言葉に非常に救われたと思う。

療養していたが、具体的にはひたすらアニメを観ること。
個人的にこれは良い心身を休める一つの手段だと思う。

とくに常に頭の中で考え事をするような癖のある人は...。
「あぁ女神様」と「ゼロの使い魔」を繰り返し見ていた。

なるほど、異世界系のアニメが多くなる理由がなんとなくわかった気がした。

そして、そんな中いつも通りTwitterを開くわけだが、どうやら誤って「女神お助け事務局」につながってしまい、一人の女人(以下、”女人”と呼ぶ)と出会う。

この女人に出会うやかくかくしかじか、事の仔細を話す。

「頼りない印象を受ける」と現実的なコメントが帰ってきたが、「そうだよね」と思う反面、「そうかこれからは頼られる人間にならないといけないんだ」と一つのベクトルが生まれた気がした。

これが自分が精神的に前に向こうとする一つのキッカケになった。

「性欲」恐るべし、でも人間で良かったと振り返って思う。

この出来事は「生きる事」の希望になった。

3月

精神科の先生に紹介され、「大阪府地域若者サポートステーション」という要するに仕事とはなんぞや。という「仕事」に関するカウンセリングが受けられる場所を紹介され通い始める。

そこで適性検査を受けたところ、発達障害の可能性があると伝えられ半分失神した。

「しょ、障害...??」

きっと怠けているだとか、やろうとしないから成功体験が乏しくて自信がないだけだなど、今省みると根性論の塊の考え方をしていて、まさか自分が”発達障害”などとは思ってもいなかった。

しかし、振り返って学生時代や20代前半の大きな失敗のほとんどは「自分の白黒思考による人間関係のシャットアウト」によるものが大きい。
詳しく知るまで、”グレー”な状態が理解できないしとても受け付けられなかった。

32年の謎に迫った感覚があった。

しかし発達障害について調べれば調べるほど苦しくなり、2週間ほど床に伏せっていた記憶がある。

また、この時の自分は本当に抜け殻だったことから、今まで見たこともないような両親の心配を受ける。

母親から電話で、泣きながら「おねがい、生きてくれ...」と言われた時には返す言葉がなかった。

また父の弟もまた「俺育て方間違えたんかなぁ...。」と父から相談があったことを聞いた。

本当にやるせない。情けない。そんな気持ちで心はドン底だった。

「自分がこう生きたい」という理想は全部捨てて、製造業のレーンがひたすら回っているようなところで黙々と同じ作業をするような仕事を永遠と続けることが現実的な生き方なのか...。もう家族など一生持てないと捨て身で生きる覚悟が必要なのかなど考えればキリがなかった。

しかしそこにまた、あの女人の登場である。
いろいろと思っていることをラフに話し、それに対しての彼女なりのアドバイスを受ける。
しかし何が自分にとってポジティブな効果があったかというと拠り所的な存在に感じられたところが強かった。
とりわけ討論するような形式で楽しく人間関係の構築ができたと思う。
例えばいちご100%の推し話で盛り上がったのは楽しかった。
無論、私は西野つかさ推しである。異論は認めない。

4月

4月に母と福島・仙台に車で旅行に行った。

「生きていればこ〜んなに楽しいことがあるのにー」と母。

途中の石川県のサービスエリアで頼んでもいないのに五平餅を買ってきてくれたことに温かさを感じる。

こうして会津と仙台旅行を楽しんだ。

磐梯スカイラインは圧巻だった。

このとき「自分の力で旅をしたい」と強く思った。

また”「30代を無駄に生きるな」永松茂久著”を読書する。

この本からどんどん「いろんな人に出会いたい=いろんな本に出会う」ということから本を読む。
本著の中で印象的だったのが、「負けるということ」「いつも口角を少しあげて機嫌よく」「責任のあり方」について記されたことだ。

口角を上げるということについて言えば、個人的には元妻との穏やかな思い出を思い出してフッと微笑むとちょうどいい表情になる。

またこの時、いろいろと自分の中で認知の歪みにまみれていた事に気づく。

とりわけ、「自分を大切にする」ということだ。
とにかく自分を低く見積りすぎている。自分を大切にしていないことに少しずつ気づき始めた。

これは体でいうところの”足腰”に匹敵するほどの土台だと思う。

5月

引越をする。

4月は何かと物件を探すことに焦りを感じながら過ごす日々で、大変だったがようやく目処がつきそこから療養できた。

また精神科の先生曰く「春眠暁を覚えず」と一言。
暖かい日々はとても過ごしやすいので、マイペースでゆっくりと前進できるチャンスである。

3月あたりからか、ウォーキングをすることが日課になり、5月に入って体重が5kg減量。
やはり座りっぱなしは良くない。

この一ヶ月は、サポステと精神科で同じく議論になっていたことだが、「環境を変える」ということだ。

とりわけ発達障害ともあらば、「環境を上手に選択する」ということは非常に重要である。

環境一つで毎日の習慣が大きく変わるからだ。
例えば、エレベーターがあった家が、エレベーターのない家に変わるだけでも足首がみるからに締まった実感があるなど...。

一番は淀川の河川敷沿いが近くにあることだろう。
好きな曲を聴いて気持ちよく歩いたり、走ったりできる。

また女人とパクチーを食って不味そうな顔を晒す羽目になった。
しかし実はカオマンガイは好物である。
短い時間だったがとても楽しかった。

6月

3月のサポステでの適性検査ではあくまで、「発達障害のきらいがある」という指摘で具体的なところはわからず仕舞いであった。
そこで心理検査が受けられる精神科に約2ヶ月に渡ってテストを受けた。

印象的なのがバウムテストだ。
私は幹と根っこを大きく力強く描いた。
もちろん絵は下手だが、そこだけは強調したいと...。
これに関してはネタバレになってしまうので、どういう答えが返ってきたかは伏せる。

また精神科にて、「自尊心」というものについてヒントをいただいた。

どんなことでもいい。何か自分がしたことに対して「よくやっているね。」と一つ一つ褒めてあげること。変な謙遜などしなくていいのだ。
この「よくやっているね」と自分を褒めることの積み重ねで自信を自給自足する。
この応用が、他人から「頑張っているね」「ありがとう」につながると...。

この自尊心や他人を尊重するということが欠けたことが原因の出来事が”女人”との間であったのだ。
私は仲良くなると勘違いしてしまい、その人の大切なパーソナルエリアを犯してしまうところがある。

これが災いして女人をブチギレさせてしまう。

そして、こう言われる。

「基本的に人に嫌われても構わないので10年以上の付き合いの友達に切られても心底どうでもいいです。」と。
後々になって思うのだが、これほど自分を大切に思えることは強い証だと思う。

角度を変えると痩せ我慢しているようにも見て取れる文脈でもあるが、しかし「嫌われることに恐れず、嫌われて別れがあってもまた新しい出会いがある」ということを肌で理解できているようにも感じた。

この言葉にはいろいろと考えさせられるところがあったのだ。

7月

女人と約束していた予定に対して、先月言われたことでひどく傷ついており、認知が歪みすぎていたピークがこの月である。
いろいろと自分の中で渦巻いていた感情がTwitterの中で本心そのままで火を吹いていたように思う。
自分のことを無碍に扱うのであれば逆にしても良いと変な正義感で心が満たされていた。
その後、自分がしてしまったことに対して後々非常に後悔をすることになるのだが、それはまた別の話なのでこれ以上は私の胸にとどめることにしている。

ところでなぜ、この女人との出来事を記事に書いたかと言うと、やはり自分が「変わりたい」という向上心の火を灯してくれた存在だったからである。

今はどうしているかはわからない。
それでもこの言葉は伝えたい、「ごめんなさい、ありがとう!」

一方心理テストの結果では、「ASD 自覚症状がある場合ADHDも併用している」という診断だった。
心理カウンセラーに強調して言われた部分としては、「”スモールステップ”で課題を進めていきましょう。」ということだった。

そんな中、合理的配慮のあるバイト先で働くことになった。

不動産・リフォーム会社のインハウスデザイナーとして自社サイトの改修やコンテンツの更新が仕事内容だ。

「私はやはりあくまで仕事としてはWEBデザイナーとしてやっていきたい」と思った。

そのために自分の生活力、報連相のスタイルに向き合いしっかり養うこと。
しかし不思議なことに、この会社に入ってからこの記事を書いている今日まで、とても腹から声が出るようにハキハキと喋るようになり、相談事も上手にできるようになってきた気がしている。
これには1月からいろんな人に相談してきたことが関わっていると思う。
今まで一人でずっとなんとかしようと悩んでいたことも人に相談してみればこんなに景色が違う。
相談ができるようになると本当に人生で苦労しているものの半分は楽になる。

しかし、餅は餅屋。大事なことほど人を選ぶということは基本的にした方が良い。
人を見る目も少しずつ養われている実感があった。

気づいたことでもう一つのキーワードが「生き急ぎ」である。

これまでの自分を振り返ると、生き急いでいた自分がいたことに気づく。
生き急ぐから、自分の中にある本当の自分の速度と虚像の自分で乖離して収拾がつかない状態になってしまう。だから結果的に人間関係をリセットしたり、中途半端に投げ出す事になったりして失敗することが32年間の間に散見されたのかなと振り返って感じる。

8月

8月は久しぶりに父の実家である山口に帰る。
結婚してからコロナ禍に入っていってかれこれもう6~7年祖父母には会っていない状態である。

恐ろしいことだ。

突然だがいくつか質問してみたい。
あなたの人生でも意味のある質問になるかもしれないので、ぜひ日頃から自分に問うことをやってみてほしい。
私はこれらを日頃問わずにナァナァで生きていたことを後悔した。

1. 鬱の最大の敵とはなにか

2. 「孤独感」の対義語はあなたにとって何か

3. あなたにとって、”つながり”と思える人間関係に共通する要素は何か

答えは人によって異なるし、人生に正解などないのだから必然的にオリジナルな答えになる。しかし、これを大切に生きていく必要があるし、生きていれば自分自身も変化しているので、また新しくこれらのことを質問して答えをアップデートする必要がある。

話を戻すが、帰省を通じて感じたことが”家族の大切さ”である。

男性はとりわけそうだ。
一度負け犬認定されてしまったら、理解してくれる人など基本的にはいない。
いたとするならば、ギターが弾けるとか将棋が指せるとか、何か対等にできる”スキル”があって初めて通じる。

しかし肉親の場合は話が別。
この記事の最も伝えたいポイントは「親による無償の愛」だ。

父とはヴィッセル神戸の観戦にたまに行っては「最近どうや??」と進捗を訊いてくれたり、母親は実家に帰省する度にご馳走をしたり、お喋りな性格同士で雑談にふけっている。そうして精神的に万全なサポートをしてくれていることに感謝した。

9月

母親は非常にアクティブで、今度は沖縄に旅行に行った。

私にとっては人生で初の沖縄。

国際通りや古宇利島、美ら海水族館などキレイなものをたくさん見せてもらえた。

中でも一番の思い出になったのが最後の沖縄平和記念公園だ。

生きたくても生きられなかった人々の悲痛な叫び、残酷で悲しい展示を2~3時間ひとりでに見ていた。母は怖いから先に外のベンチで待っておくと行って先に行った。

「あぁ、これしきの事で不平不満、ましてや生きることを諦めるような行いを選択してはいけない...!」ということが強くメッセージとして響いた。

上に同じく、永松さん著の「迷ったら知覧に行け」という本を後で知るが、人生で最も苦しい人にこういう戦争で亡くなった人の苦しさを残している場に行くことは非常に有意義だと思う。自分の悩みが本当に些細なことに感じられるから。

また、母親と二人で献花したことも非常に深い思いになっただろうと思う。
父も母も明日死んでしまうかもしれない。自分も明日交通事故で死んでしまうかもしれない。

こんな流れの早い時代だからこそ、「いつ、何時、何が起こるかわからない」ということを改めて胸に刻んでおかなければならないと思った。

こうして頻繁に実家に帰ることを大人になってからしてこなかったことが今になって返ってきたように思う。

親の有り難みを感じるからこそ、自分にできる親孝行というのは”定期的に帰る、そばにいる”ということにつきると思った。

幸せな家庭に生まれて本当に幸せだ。

10月

 まだまだ衣替えには至らない暑さだった。

この頃から3ヶ月間に渡って、発達障害についてのセミナーに参加する。

この回では「コンスタントに結果を出そうとしなくて良い」「ASDとADHDを併せ持つ人の特徴」について学んだ。

またようやく予算的にもサービス的にも素晴らしい整体院と出会う。
ここで自律神経が非常に乱れていることが明らかになる。
大学時代にボイトレに通っていたと今では笑い話にしているが、通常の呼吸も肺呼吸ではなく腹で呼吸しているのが癖で、これが呼吸を浅くする原因だとも...。

自分の中に眠って長らくしがらみとして存在していたものが体の奥まで出尽くした感覚があった。それだけ何かひと段落したという気分で、この時期から「新しい自分に向けて」というスタートを切った感覚があった。

そして、話が前後するがもう一つ10月の枠で9月の出来事を語らせていただきたい!

 7月頃から開催されていることが企画されていた、LINEオープンチャット「ほんわか将棋道場」のオフ会が東京で行われた。

ここで出てくる登場人物がなにかと個性的でおもしろい人が多く、私が求めていた”居場所”のイメージととてもフィットしていた。

荒川アンダーブリッジが好きで、素性や背景はわからないが個性で良心的な人間性に触れられること、普段の日常では出会うことがないだろうと言う人が一同に会する感覚がとても刺激的で好きなのである。

この”居場所”という風船をたくさん持つこと、グリップしたり手放したりすることができることで俗に言う”メンヘラ”的な認知の歪みは回避できるそうだ。

まぁそう簡単には波長の合う人と出会うことはないのが現実ではあるのだが...。

ちなみに余談だが、私はこのオプチャでksという名前で活動している。
「kallsium」(カルシウム)の略なのだが、(綴りを間違っているのは私の頭の悪さということで...)言葉には意味がある。

中学生の頃身長が154cmぐらいで、小さいことがコンプレックスだった。
その為、自分の中で「とにかくカルシウム!」というイメージが強かったことから由来している。(カルシウムサプリやちりめんじゃこをとにかく食べていた。)

…まぁ今ではksはカスと呼ばれいじられキャラと化しているわけだが。。。

11月

 まだウォーキングできる気温!

12月に入ってからは結局寒すぎて上旬に2回ほど行った程度である。

この時とくに悩んでいたことが「スケジュール」と「その通りに実行できない自分」のギャップだ。

スケジュールは誰かと共有するものであって、自分を縛るものではないということを相談して知る。
11月から地味な活動になってくる。

また、頭と心と体が連動した状態=「自分」というものがうまく機能している。ということをセミナーでストレスへの対処として学ぶようになる。

また30代は「恥」をかいてなんぼであるということを悟る。

責任感が求められるからこそ、いちいち失敗など気にしていては進むべきものも進まない。何度でも打席に立って、失敗して、繰り替えして行かないといけないのだ。

これは生活レベルで求められることになってくる。

ましてやもう一度家庭を持ちたい、取り戻したいと言う志があるのであれば...。

「男は甲斐性、女は愛嬌」

12月

 本格的に寒くなってきた。

正直今まで節制していたラーメンやファストフードにたくさん行って食べ散らかしてしまった。

すべて「寒いから」という言い訳が成立する...。

また父と最初で最後かもしれない「ヴィッセル神戸優勝」を一緒に観ることができた。
我が人生に悔いなし...と思っていたが父は「来年も同じ景色を観れるといいですね」とLINEメッセージ。強い男はとことんハングリーであることをまた背中で知らされてしまった。

この12月の過ごし方について新しい発見は、人間動かない状態が続けば続くほど実際、自分の状態が悪化していくように感じていた。

そこで「敢えて仕事する」という結論に至り、実際仕事納めまでスケジュール通り走り切ることに成功した。

自分ではどうにもできないことを悩むよりも、目の前のWEBサイトをどう改修しようかという仕事に向き合うことに頭を使う方がよっぽど健全である。

 仕事が終わり、早々に実家に帰りこの記事を執筆している。

2024年は私の人生にとってとても重要な一年だったと思う。

このブログで自分の人生観については語ることはあったとしても、自分の人生そのものを語るということは趣向に反するところがあるが、やはり形に残したいという気持ちが勝った為この記事をここに残すことにした。

来年から少しずつ外に出る行動が増えていくだろう。

すでにあることのために貯金もコツコツとしている。

「生きていれば楽しいことはこんなにあるのに」

今、旅先での母のこの言葉がふんわりと響き、これからの人生の展開が楽しみである。

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