将棋 雑記

AIとの向き合い方について

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ゆの

フルリモートでほっそりとWEBデザイナー/コーダーをしています。 趣味は将棋とHR/HMギター。 1992年2月4日生。

令和の棋力向上に必要な三大ツール

皆さんこんばんは。
最近はソフト指しの話で話題になっていますが、この事件をほじくるわけではなく、これもまた今後「人」と「AI」との付き合い方について考えるとても良い機会であると思ったので、今回ブログに綴っていこうと思います。

これは教えの受け売りですが、今の将棋の棋力向上には大事な根拠が3つあります。
また対戦相手が強くなればなるほど、感想戦でも「根拠」が求められます。

  • 定跡
  • プロ棋士の過去の棋譜
  • AIの評価値

今回はこの中でAIの評価値についての話です。

AIが無い時代の方の将棋の日々のトレーニングメニューって、大体「問題を解く」「棋譜を並べて棋風や流れを身につける」「定跡を覚えて実践でやってみる」みたいなのがザックリあげるとこんなところだったんじゃないかなと思います。
僕も去年から本格的に将棋を勉強するようになり、いろんな人に出会い、また17年ぶりに再開した人もいる中で大きく違うことがありました。

https://www.shogilounge.com/entry/static-rook-bishop-exchange-4hatikin2kyuhigataVSsengodoukei (将棋大図書館 引用)

例えば、この形。
今では慣れてしまってすっかりこれが「当たり前」になってはいるものの、僕が知っている角換わり腰掛け銀の基本形というのは、飛車が2八にいて、金はしっかり王様をケアするように5八にいる形が、平成での常識だったと思います。

ですが、これらは全てAIの評価値の影響も受けています。

・自陣全体が安定している(角を打ち込むスペースがない)
・飛車の稼働域が広い(なので最近ではよく飛車が一段にいるのをよく見ます。)
・先手と後手の形がほぼ同型になりやすい(先手と後手で価値に大きく影響します。)

などなど...。AIの習性からこのような形になっていったというので、最初は「そんなにAIに媚びへつらって!人間が指すから将棋はおもしろいんだろ!」と反抗的ではあったのですが、今の将棋事情を知れば知るほどAIからも学習しなければいけない...立派な学習ツールのひとつになっていることを知りました。

棋神ってソフト指しなんじゃないの??

?「ヒカル...いいですか...ただ人形のように打つのではなく、私の一手一手に石の流れを感じなさい...。」


将棋をやめていても「ヒカルの碁」はたぶん生涯覆らない漫画なんじゃないかなというぐらい好きなのですが、個人的に「感覚派」の人にとっては共感できる名言やシーンがあるのではないでしょうか。

藤原佐為が言った一手をヒカルが指す。まぁ現実であれば「ソフト指し」にあたるわけですが、これに対するイメージがよくありません。
別に肯定も否定もするブログではないのですが、少なからず序盤から終盤までの「勝利の流れ」を体験することができるので...。
成功体験は成長に拍車をかけるために必要かなと個人的には思っています。

必死に考えている相手を打ち負かす目的で使っているのか、自分の学習が目的で使っているのかでニュアンスも変わってきます。
これについて意見すると、人生に将棋しかないバイアスの人過激な意見が出てくるのでこれ以上は触れないのですが、少なくとも将棋ウォーズの棋神については否定的です。なぜなら矛盾しているので。

とはいえ、ネット将棋の時点で別ゲームと割り切っているので、こういうところに商業臭さを感じて個人的にはネット将棋自体、やりすぎないように自重しています。(対局したい!うずうず...ってなった時だけにしています)

AIとの向き合い方

何もこれは将棋だけの問題ではなく、社会でも言えることだと思います。
WEB業界で勤務している身ですが、やれChat GPTがどうのGA4がどうの...ととにかく生産性を上げるために人力からAIの力で、人件費を削るプロジェクトの話などをよく耳にします。

AIと人間が同等だったのが、スティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した頃からと言われてますが、今ではAIの知能が発達しすぎて、そのAIをどのように使うか...使い方で困る傾向にあるように感じます。
人の手でやっていた仕事が、AIを取り入れて、一見「便利になった」と思ったはずが、そのシステムの保守管理が複雑化していくケースもよくあり結局元の木阿弥で人の力に頼るというパターンもよく見ます。

話は将棋に戻りますが、AIで昔の棋譜などを見ると昭和の将棋はおもしろいなと感じることが多々あります。これは"元の木阿弥"なんてものではなく、個性的且つ魅力的な話です。なによりロマンを感じます。(ウットリ)

個人的には大内延介先生の将棋で90年代に「風車」を持久戦でよく採用していた時期があるのですが、(印象的なのが、第1期 銀河戦 本戦Dブロック 19回戦 大内延介九段 vs 浦野真彦六段戦)

・必ず7八金と上がる
・96歩と組み上がりの最後に端歩を突く(基本的に端歩の挨拶はする方が良い)

                                                                                      

こういった昔の棋譜から違う角度で発見できることがあるという上では、AIは欠かせないツールであることは間違いないですね。
しかし、もう一つこのセクションで言いたいことというのは「良し悪しではなく、個性も醍醐味である」ってことです。
確かに勝負の世界かもしれないですが、そこを意識しすぎると何かを失う気がします。

まとめ

う〜ん、この記事だけで、このテーマをまとめられたら「そんなスケールのテーマなのか???」という感じではあるのですが、ソフト指しについては肯定も否定もしません。また大会で使用するなどについては、自分自身の心に訊いてみてと思うのが僕としての意見です。(「それで優勝できて嬉しいか?」など)
また、ネット将棋を「真剣勝負の場」にするのは少しもったいないかなと思います。
ここについては100%リアル将棋派ですね。

筆者自身が一番体感していることが「将棋を好き」でないと上がないということです。

「好きこそものの上手なれ」

サッカーや野球のような肉体的なスポーツではなく、生きている限りできる頭のスポーツなので、自分が「引退」と決めつけない限りはできること。また世代を超えて交流できることに大人になって素晴らしいなと感じています。(少なくとも小さい頃には考えたことなど無かった)
将棋をプレイする上ではこのことを踏まえて人生を豊かにするキッカケとしていきたいものですね。

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